ボデガ キエニンゲル

作り手:マルティン キエニンゲル

-自分を知る人は幸運をつかむ-

オーストリア出身のロンダワインの作り手、マルティン キェニンガーの自宅兼ワイナリーに着くと、強い春の香りと元気な2匹の犬が私達を迎えてくれました。この家は緑豊かな田園地帯の野花に囲まれていて、パティオの真ん中で誇らしげに枝を伸ばすぼだい樹は、家を守っている様に見えます。

「娘のサラが5歳の時にこの木を植えたんだよ。ケルトの伝統を守って娘の星座を表す木を選んだ。この木は、力強くて生命力にあふれ、色彩も豊かな木なんだ。この木を見上げるたびに僕は笑顔になって、そして、サラのことを思うんだ。」と彼は、このぼだい樹の説明をしてくれました。

家族とこの自然がマルティンの財産です。彼は、決してワイン作りを目指してきた人ではないことは、話をしているとよく分かります。マルティンは、自分が思う様に生きてきた結果、ロンダの有機栽培ワインの作り手として尊敬される存在となりましたが、彼と話をしていると正にそれが彼の運命だったんだと思えてきます。

バニラの香りがするホワイトティーを彼のキッチンで楽しみながら、マルティンは色々な自分の話をしてくれました。「僕は、1998年に妻と2人の小さな子供を連れてオーストリアからスペインに引っ越して来たんだ。その時、末っ子のパコも妻のお腹の中にいた。」と彼は話しだしました。「僕は、裕福な建築家の家に生まれたんで、生まれた時から僕は将来建築家になると両親に決められていた。父は、ものすごく厳しい人で、僕は父の家業を引き継いで、彼のように沢山働いて、建築家業に身を捧げることを期待されていた。だから、この両親に敷かれたレールから離れて自分の思いに忠実に生きてゆく道を選ぶのは本当に大変な事だったよ。」と言います。

 マルティンは絵に描いたように美しいロンダで、自然派建築に関わる設計の仕事を始めました。同時に、自分の家族と住む家を建てるために3ヘクタールの土地を購入しました。当時は、家を建てる事しか考えはなく、この家族が住むだけの家としては広すぎる敷地の使い方については全く何も考えていなかったそうです。

「色々なフルーツの木を趣味で植えだしたのが2000年だった。庭で一年中いろんなフルーツを育てられたら楽しいだろうな、と単純に思ったのが始まりだった。今ではミカン、サクランボ、アーモンド、レモン、リンゴ、イチジク、それにクルミなんかが成るんだ。そして、ブドウも植えた。こうして、僕は趣味でワイン作りの勉強を始めるようになった。試行錯誤を重ねてワイン作りを手掛けているうちに、どんどんワイン作りの世界にのめり込んでしまって、これを自分の職業にすることを真剣に考えるようになったんだ。当時はまだ建築設計の仕事もしていて、その収入があったからワインで利益を出さなくてはならないというプレッシャーはなかったので自由に試行錯誤ができた」。こうして、マルティンのワイン作りが始まりました。

自分の心に正直に、土壌と自然のプロセスを尊んだワイン作りの世界で仕事をしたい

マルティンは、野花に囲まれた沢山の果樹が成る敷地を通り抜けたところにあるぶどう畑に案内してくれました。「実は、僕は小さい頃から農業をやりたかったんだ。うーん、自然に引き付けられたとでもいうのかな?土壌と自然のプロセスを尊とうワイン作りの世界で仕事をしたいという気持ちがどんどん強くなったんだ。建築設計の仕事をしていた頃は、自分が目指していた建築に自然を調和させることが難しくて、本当にこれでいいのか?と僕は常に悩んでいた。このブドウ畑には自然の水を山から引いてきている。そして、僕たちは農作業はすべて人間の手で行い、有機栽培を実現している。ワインの醸造過程では有害菌の殺菌のために、他の手段が無いから止むなく亜硫酸塩を最低限の微量で使うけど、ブドウ栽培には化学肥料・農薬等は一切使ってない。自然は自然のままが一番だと思っている。一度、小さなクモが大量発生したことがあったんだげど、僕たちは、クモの天敵は何かを調べて、その結果、天敵であるダニの巣を8つ持って来ることで解決した。今、ここには、クモもダニも居て、生物多様性を前提にした、自然界のベストバランスが存在している。こういう風に自然を相手に働いていると、心が癒されるんだ。そして最終的に、僕は建築家業を辞め、ワイン作りに専念するようになったんだ。」

 

ワイン作りの経験がまったくなかったマルティンは、情熱でそれをカバーしながらワイン作りを続け、2007年に自作ワインをバルセロナの名高いワイン品評会に送りました。そして、ワインの作り手なら誰もが切望する5つ星の評価を受けました。これがきっかけとなりマルティンは、建築の仕事を辞め、ついに、スペインワイン界で名を成すことを決心しました。

「最高の賞を受けるける事は本当に嬉しい事だけど、でも、点数や賞などが、一番重要な僕のワインの要素だとは思っていない。」と彼は、妻のアナにちなんでヴィンアナと名付けたワインをグラスに注ぎながら笑顔で話しを続けてくれました。「僕にとって一番重要なのは人々に喜んでもらえる良いワインを作ること。僕のワインの香り楽しみ、ワインが注がれる時にグラスの中に出来る渦の色を見て、そして最初のひと口を味わった時の人々の顔の表情を観察するのが僕は大好きなんだ。試飲をここでしてもらうときは、庭で取れたナッツやドライフルーツを盛ったお皿をこの小さなテーブルに乗せ、木陰で素晴らしい景色を楽しんでもらいながら、試飲してもらうんだ。」と相変わらず笑顔でワインの話をしてくれます。

椅子の背にもたれる私の背中を太陽がじりじりと照らし、足元では犬が何かを待ち焦がれるように座っています。頭上には蝶がけだるそうに舞い、ときおり訪れるクマンバチの羽音や近くのムクドリの泣き声が聞こえる以外、辺りは静寂に包まれています。私達は、時間が過ぎるのを忘れ、ワインを愉しみながら、また、マルティンとの会話を楽しんでいる事に気づきました。

 

「僕達は人と自然のつながりを理解し、そのつながりの重要性を常に考えている。このブドウ畑や、ワインを通じて、その大切さを多くの人に伝えたいと思っている」。

「この地の美しさは私の人生そのもので、そして僕のワインはそれを表現するものんなんだ。」と彼は言います。「この土地とブドウには愛と尊敬を持っていつも接している。犬と一緒にブドウ畑を歩けば、怒りや悲しみという感情が僕の心から消えていって、とても静かな気持ちになれる。この地で僕は、人生と自然との密接なつながりを始めて感じることが出来たんだ。」

寒いオーストリアの山から暑くのんびりしたアンダルシアに移ってきたマルティンにとっての最大の変化とは何だったのだろうか?

「ここではすべてがのんびりしている」と彼は流暢なスペイン語で話す。「このアンダルシアの文化や、ゆったりとした生活のペースに慣れるのには随分時間がかかったよ。僕は自分の感情や気持ちを表に出してしまうアンダルシアの開放的な人達が大好きなんだ。この地で、僕は多くのことを教えてもらったから、そのお礼として、この地に何か小さな私なりのお返しが出来れば嬉しいと思っているんだ。」 

マルティンにとっては、ロンダがすでに彼の故郷になった様です。長男は建築を、長女はデザインを勉強しています。まさに、「果実は育った木の近くに落ちる」というスペインの謂れの通りです。彼の最初のワイン「マックス」は長男の、そしてロゼワインの「ロザラ」は、娘の名前にちなんで命名されています。マルティンは一家がスペインに移住してすぐに生まれた次男の名前を付けたワインも作る予定でいます。彼は子供達と良い関係を保っています。フルートを吹く彼の息子と一緒にサクソフォンで共演することもあるのだと言います。

今、マーティンは家庭とワイン作りの仕事をきちんと分けるために新たな醸造所を作る予定をしています。その予定地の前にたたずみ、彼は「家族、仕事、そして十分な収入を持つことは大事なのは言うまでもない」と言う。「でも、人生で本当に必要なのは、自分の心に結びつく「何か」を見つける事だと思う。「心の平和点」とでも言うのかな?そんな事をまだ建設設計の仕事をしている時にずっと思ってたんだ。建築設計の仕事では、営業、資金、そして想像以上の長時間労働が必要なんだ。でも、そんなに努力しても、結果として、自分が幸せだと感じられなかった。多分、自分が見いだせなかったんだと思う。自分で、自分を知ることは幸福をつかむためにはものすごく重要な事だと思うんだ。自分の創造性を実現できる「何か」を見つける事。これは、瞑想の一つの形なんだと思う。」

彼は、有機栽培をさらに進化させて、将来、亜硫酸塩をまったく添加しないワインを作る計画や、品質を落としてまでワイン生産を拡大するような事はしないという様な、自らのワイン作り哲学を語ってくれました。「若い頃から、何かを達成するためには、最大限の自分の力を注がなくてはならないということを自らの経験から学んできた。今ここには3ヘクタールの土地を保有しているけど、これを無理に大きくする気はないんだ。」と彼は言う。「僕は自分の仕事であるワイン作りの全工程、ブドウを植え、栽培し、収穫、醸造、味を吟味し、瓶詰めをする、という作業の全てに関わっているんだ。こうすることで毎日自然にたっぷりと浸ることが出来るし、仕事の成果に触れ、香りを嗅ぎ、味わうことができる。ここでは毎年新しい驚きに出会い、新しいワインが生まれるんだ。」

ここにいると、真昼の暑さの中で、静けさ、自然の美しさを感じます。ブドウのツルについたばかりの小さなつぼみが早くブドウになる日を夢見ている囁きが聞こえてくる様だ。

「ワインは、あくせくせずに、ゆっくりと生きる事、そして自然に感謝することを僕に教えてくれた。僕はここで自然のサイクルで暮らしている。今僕は、自分が誰なのか、そしてこれから何処に向かおうとしているのかが見えている。これこそ、最高の幸せだと思う。」